小野不由美/著・新潮社新潮文庫/刊

 

十二国記『黄昏の岸 暁の天』を、ここ数日のうちに読み返した、という人は多いはず。ええ、私もですよ。やっぱ続編の『白銀の墟 玄の月』1巻2巻を読んで「ええええ? いったいどうなるんだ?」と考え込み、前作である『黄昏の岸 暁の天』に何か気づいていなかったヒントがあるかもしれないと、探してみたくなるってもんで。

で、私も改めて読み返してみて、さらに「うーん?」な状態に陥っているわけですが、とりあえず気になったことをここに書き留めておくことにしました。もちろんネタバレ満載、つかシリーズを全部読んでる人でないと、なんのこっちゃな内容になっとります。

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この『黄昏の岸 暁の天』を読んだ当初もそうだったんだけど、自分の中でいまだにどう噛み砕いていいのかよくわからないのが、この十二国の世界とその仕組みを作った「誰か」が実際に存在しているらしい、ということ。要するに天の神、天帝が実在している、ってことね。

いやまあ、麒麟が王を選ぶって言っても麒麟自身に選択権があるわけではない、っていうことについては第1作の『月の影 影の海』ですでに景麒も言ってたし、だから麒麟に対して「アイツが王だから連れてきて玉座に着かせろ」って命令を出してる誰かがいる、ってこと自体は、この十二国の世界のデフォルトとして理解してたんだけどね。

それが『黄昏の岸 暁の天』ではっきりヒトの姿で登場したので、なんかこう「えーやっぱり居るんだ……」みたいな感じだった。

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『黄昏の岸 暁の天』では西王母、つまり天帝の奥さんだよね、が実際に景王陽子たちの前に現れて奇蹟を施してる。そんでもって、十二国の中央に位置する蓬山が神々の住まう玉京と唯一繋がった場所で、天上の玉京には天帝と西王母、さらに人数はわからないけど神々が実際に存在している、って説明になってる。

天の神さまが地を造り国境を引いてこの世界を十二の国に分け、それぞれの国に治める王を据えた。据えられた王は、いい王さまである限りはずーっと、何百年でも王さまであることを続けられる。でもどこかで踏み誤って民を虐げる悪い王さまになっちゃったら、天がその命を絶つ。

王を玉座に据えるときも、王を玉座から降ろすときも、天の神さまにとっての実働部隊は常に麒麟だ。麒麟は天帝の意を受けて王を選び玉座に据える。そして王が道を失い天帝が「コイツはアウト」って決めたら、まず麒麟が病む。麒麟が病んでその命が絶えると、王の命も自動的に絶える。

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つまり王という存在は、常に天のコントロール下にある、ってことだよね。天が誰を王にするのか一方的に決めて強制的に玉座に着かせ、さらにその王を玉座から降ろすのも天の一存にかかってるって言ってもいい状態。

それでもさすがに、天帝の個人的な気分で王の命を左右するわけにはいかないだろうから、一定のルールが敷かれてる。道を失うとは具体的にどういうことなのか、王がコレやっちゃったら一発アウト的なルールが。それが覿面の罪。どのような意図であろうが、王が他国にその国の王の意向を確認せずに自分の兵を踏み込ませたらその瞬間にアウト確定、っていう。

そこには情状酌量も何もなくて、道を失うも何もとにかくその行為をしたっていう事実だけで即刻断罪される。確かにそれはそれで公平なのかもしれないけど、あまりにも雑すぎないか、とも思える。だって、天は常にその事情もちゃんと把握してると思って間違いなさそうなのに。

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そう、結構、雑なんだよね。天のやってることって。改めて『黄昏の岸 暁の天』を読み返してみて、つくづく思った。実在してるっていう天の神さまって結構、雑なことしてるよね、って。

最初に設定したルール=摂理に合致してさえいれば何であってもその通り自動的に処理、つまりいったん決めたことについては決めたまま放置して何ひとつ考慮しない。そんでもって摂理で量れないこと、ぶっちゃけ自分たちが想定していなかったことが起きた場合は、わかっていても知らん顔してるってことだもんね。

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だからこの『黄昏の岸 暁の天』で、李斎があれだけ憤ったわけでしょう。会った記憶もない玄君玉葉は李斎が何者で何をしてきたか知っている。つまり天は、天の神々は、いま戴国で何が起きているのか、ちゃんと知っている。知っているのに、具体的な救いの手を差し伸べてはくれなかった。なぜ王を保護するなり麒麟を連れ戻すなりしてくれなかったのか。なぜ国を荒らすだけの阿選を裁いてくれないのか。国がひとつ、滅びるかどうかの瀬戸際まで来てるっていうのに。

それどころか、このままでは天が新しい王を決めて起たせることもできないからむしろ泰麒は死んだほうがいいんじゃないか、みたいなことまで言い出す。何なの、その雑で投げやりな対応。そりゃ戴の民である李斎が激怒して当然っていうもんだ。

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泰麒を自らの意を伝えるものとして生み出し、その泰麒をもって乍驍宗を戴国の王に選び出し玉座に据えたのは天帝だ。天が選んだ王が道を失ったのなら、天がその王を裁き玉座から降ろす。

でも泰王驍宗も泰麒も、道を失ったわけじゃない。王が玉座に戻れないのも、麒麟が王の傍に侍ることができないのも、本人の意志ではどうにもできない状況にされてしまっているからだ。王に非がないから、天は裁きようがない。

天が裁くのは自らが据えた王だけ、おそらくそれは天にとっての厳然たるルール=摂理なんだろう。その王に対し裁きようがないから、そのまま放置している。そのために、どれだけ国が荒れどれほど多くの民が命を落としていても。そういうことでしょう。

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うーん、やっぱり阿選は、天を試したんだとしか、私には思えない。

王も麒麟も生きている。生きてはいるけれど、王として麒麟として、まったく機能できない状態に陥っている。しかもそれは本人の意志ではないので、天は機能不全を理由に王を裁くことができない。

天は、自らが定めた摂理でもって王を自らのコントロール下に置いた。完全にコントロールできる、つもりだった。でも、コントロールできない状況が、作り出されてしまった。それも人によって意図的に。

さあ、どうする? 放っておけば国は荒れ民の命は奪われる一方だぞ? 天はこの摂理を外れた状況をどうしてくれるんだ? 阿選は、ただ天からの答えを待っているだけなんじゃないだろうか。

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そう考えると、納得できるんだよね。阿選がなぜ泰王驍宗を弑してしまわなかったのか。なぜ泰麒の角を切り鳴蝕を起こさせ戴から追い払ったのか。そしてなぜ、有無を言わさず国土を焼き尽くし国を荒らし続けたのかについて。

そしてこれまでのところ、天は何も答えず何も成さなかった。どれだけ国が荒れ民が命を落としても見て見ぬ振りをしてる。天命なく玉座に着いた阿選に裁きが下る気配もない。だから阿選は、フンこんなもんかよ、とばかりにすべての興味を失って王宮も荒れるに任せ政を放り出して引きこもってしまった、ってことじゃないの。

ただ、そこからまた新たな疑問が湧き上がるわけだけど。阿選はなぜ、自分の国を滅ぼすことすら厭わず天にそれを問うに至ったのか、っていう。

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まあ、実際のところはわかんないけどね。シリーズ完結編になる(はずの)『白銀の墟 玄の月』3巻4巻が発売になってしまえば、私の想像とはまったく違う、ええええそういうことだったのか! になるのかもしれないし。

それでもこの『黄昏の岸 暁の天』を読むと、これから何らかの形で天の介入があるんじゃないかなあって思っちゃう。だって李斎は西王母とも実際に面会し、西王母は泰麒の怨詛による病を祓い、汚れてしまった指令も清めてみようと預かった。

そのとき西王母が言ってるんだよね。「……病は祓おう。それ以上のことは、いまはならぬ」って。いまはならぬ? じゃあ後から何かするってこと? ってやっぱり思っちゃうでしょう。

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李斎が西王母と面会したとき、天は自分たちの摂理が及ばない状況に陥ってる戴のことをとっくに見限っていたんじゃないかって雰囲気だったよね。とりあえず泰麒の命運はいずれ尽きる、麒麟の命が尽きればあとはまた自分たちが敷いたレール通りに進むんだからそれでいいだろって、ほぼそういう感じの雑な対応で。

でも李斎の必死の訴えで、とりあえずこの角もなく病んだ泰麒にもうちょっとやらせてみるか的な気になったんじゃないのっていう。

天の神々にしてみれば、こういう事態を想定していなかった自分たちのミスだっていういくらかの後ろめたさがあるのかもしれないし、人である阿選ごときに自分たちの定めた摂理を踏み越えられてしまったっていう腹立たしさもあるのかもしれない。

どっちにしろ、天にとってはあまり愉快な状況ではないことは間違いないから、この状況を打破したいと、そのために尽力すると麒麟や民が言うのなら、やらせてみて損はなかろう、くらいの感じなのかも。

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それでなんだかんだで状況が打破できそうになったところで、天が奇蹟を施して世界は再び摂理に則り動き出し……には、絶対ならないだろうな。その結末だけは、ないと思う。

だってそれじゃ、十二国記の根本から逸れちゃうもんね。人は人ならざるものに生かされているのかもしれないけれど、でも人を救えるのは人自身でしかない、っていうのがそもそもメインテーマなんだから。

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天の神々にしてみれば、民が増えたり減ったりするのはお天気によって川の水量が多少増減するのと同程度のことなのかもしれないし、王だろうが麒麟だろうがいくらでも取り替えが可能だと思っているのかもしれない。

でも、いまこの地に足を踏ん張って立っている人にしてみれば、自分が生きてることってそんなどうでもいいことなんかじゃない。天がどうでもいい扱いしかしないのならいっそう、自分にはどうでもいいことなんかないと声をあげるべきだ。

結局、阿選がやってることも、それなんじゃないだろうか。そういうことなんじゃないだろうか。

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自分ではどうにもならない理不尽を強いられて、我が身の不幸を嘆き救いが施されるのをただ待っているだけでは、人は決して救われない。人は皆、自分の足で立ち常に自分自身の王であれ。

十二国記ってシリーズ全部がそういう物語だもんね。

もしかしたら、天が介入しようとしても、泰麒はそれを拒否するかもしれない。そしたら泰麒は、天意を受けない唯一の麒麟になる。そして阿選は、欲しかった答えを天からではなく泰麒から得ることになる。なんてのもアリかなー。

まあ、いまのうちに妄想できるだけ妄想しておきましょう。『白銀の墟 玄の月』3巻4巻発売まであと少し。読めばすべてが明らかになる(はず)。あ、妄想はすべて泰王は驍宗さまでなければダメ、が前提なのでその点は死守してもらいたいと切に願っております。

シリーズ既刊感想一覧


黄昏の岸 暁の天 十二国記 8 (新潮文庫)

 

 

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